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【体験談:左半身麻痺になった母】④病状はなんとか安定するが…

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母の病状はなんとか安定しました。また脳出血などが起こらない限りは命に別状はないと言われましたが、もう以前のような元気な母はいませんでした。

現実を受け止めきれない母

自宅に帰った私と息子は、以前の通りに生活していたかというと、そうではありませんでした。

とりあえず息子は幼稚園に登園させ、お迎えに行き、習い事なども以前の通り再開し、私は自宅で仕事を再開。

週末は息子を連れて車で片道2時間かけて母の面会に行き、1泊して翌日戻るという日々が続きました。

弟も普通に会社に行き仕事をして帰宅。時間があるときは母のお見舞いに行き、必要なものがあったら買って持っていくというお世話をしてくれていました。

一般病棟に移ってからは母の病状は安定していましたが、意識は朦朧として会話はあまりできず、話しかけてもあまり反応もなく、起きているときもボーっとしていました。

テレビがあれば気がまぎれると言い、テレビカードは途切れないぐらい買っていましたが、見ているのかよく分からない顔でぼーっと眺めてるだけ。

息子が心配して「おばあちゃん大丈夫?」と言っても「うん」と小さく頷くのみ。

以前の元気な母は完全にいなくなってしまいました。

またその頃には「自分の体が思うように動かない」と母も理解したようで、「こんな不自由な状態になるくらいなら死んだ方がマシだ」「殺してくれ」と何度も言われました。

初めて言われたときはショックで頭が真っ白になりましたが、会うたびに何度も何度も言う母に、私は何も返事ができませんでした。

母の病状は少しずつ、ゆっくりゆっくり回復していくのですが、母が弱音を吐いていた時期は本当に精神的にツラくて、家族みんなが暗い顔をしていました。

そうして数ヶ月が経ったころだと思います。記憶が曖昧なのですが、やがて母が体を起こして少し動けるようになった頃に、リハビリがスタートしました。

若くて笑顔の素敵な女性の作業療法士さんがついてくれて、まずは母の動かない手足のマッサージなどをしてくれていました。

麻痺が残った当時の母の手はグーの形でがっちりと固まっていて、その指をゆっくりほぐしていくのですが、母はそれが痛いと何度も訴えていました。

歩いていない足はいつも冷たくて、そんな母の手や足を間近に見て、まだ母は生きているのに、なぜか寂しくて切なくて、病室を出てトイレで泣いたこともありました。

脳出血の後遺症の麻痺についていろいろ調べると、術後の数ヶ月が非常に大事で、その間にリハビリを頑張れば機能が回復する人も多いのだと知りました。

母に「リハビリを頑張ればまた手足が動くようになるかも。ほら、ここに書いてるし」とスマホの画面をみせて励ましてました。

それを見た母はそのときだけは少し笑って、「じゃあ痛くてもリハビリ頑張らないとねぇ」と言ってくれて、前向きになってくれるのがとても嬉しかったのを覚えています。

母も頑張って、リハビリ担当の療法士さんも優しくサポートしてくれて、数ヶ月が過ぎました。

結果を言うと、母の左半身麻痺は10年以上経った今も回復には至ってません。

左手は指先がかすかにピクッと動く程度。下半身は左側はほぼ感覚もなく、1人では立つことも座ることもトイレもできません。

母が倒れた年齢はまだ60代と比較的若かったので「もしかして」と奇跡を信じていたのですが、それは叶いませんでした。

しかし今も母はリハビリを続けていますし、体調が良い日は介助されながらですがトイレで用を足すこともできています。

完全に寝たきりにはなっていないので、回復はしていなくても現状維持はできているので、それだけでも幸せなことだと思っています。

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