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【体験談:左半身麻痺になった母】⑫母を特養へ入所させることを決断

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大腿骨骨折で緊急手術をし人工関節を入れた母。在宅介護をするのは難しいと言われ、ケアマネさんに何度も相談し、私は母を特養へ入所させることを決断しました。

偶然の幸運が重なり特養へ入所できた!

在宅介護で6年が過ぎた頃、室内での転倒で大ケガを負い人工関節を入れた母。

すっかり元気を無くし、希望も無くなってしまい、母も私も暗くふさぎこむ日々。退院期日が迫る中で、母を特養へ入所させることに。

もう自分の家に母を連れて帰るのは難しいと言われた私は、ケアマネさんや弟、その他にもいろんな人に相談していました。

ケアマネさんは、このような状況の場合は特別養護老人ホームへの入所が一番いいと言ってくださいましたが、特養は入所制限がある上に入所待ちが非常に多く、すぐには空きが見つからないと言われました。

しかしその空きを待つ以外に良い案がありません。

病院もこのようなケースは初めてではないらしいのですが、少しだけ猶予をもらい「とりあえず急いで探してください」と言われました。

ケアマネさんは「特養に入るために何年も待っている人もいる」と言うので、不安でたまりませんでした。

病院から絶対に出なくてはいけない場合は、民間の高額な施設に入れるしかないのか、と。

しかし私と母は非常に幸運なことに、予想外に早く入所できる特養が出てきました。

たまたま空きが出て、順番待ちの中でも特に「行き場所がない」など急いで入所しなければならない条件があった母は、優先的に選ばれたようでした。

もう感謝しかありませんでした。選んでいる場合ではないと思いつつ、ケアマネさんから「一度施設に見学に行ってみてください」と言われたので、すぐに連絡を取って行ってみました。

その施設は市内の片田舎にあり、とある森の奥にありました。

結構な険しい山道を登ると、ポツンと大きな施設があり、まるでジブリか何かに出てきそうなところだなと思ったのを覚えています。

そこも入所しているお年寄りなどが勝手に外出できないように厳重にドアがロックされており、インターフォンを鳴らして用件を告げるとカギを開けてくれるシステムでした。

中に入ると感じの良い職員さんが対応してくれて、施設の案内を一通りしてくれました。

帰り際に母へのねぎらいの言葉をかけてくれて「いつでもお待ちしています」と言ってくださり、もうここしかないと決断しました。

とりあえず一旦帰宅し、ケアマネさんに「ぜひお願いしたい」と告げて、手続きをしてもらうことに。

手続きは非常にスムーズに進み、母は間もなく退院できることになりました。

下半身のリハビリはしていなかったので、立ち上がることも難しく、ベッドから車椅子への移動も2人がかかり。

元気もなく諦めきったように笑顔もない。食事も食べる量が減っていて、体重もかなり落ちていました。

そのときの母は70を超えたばかり。

世間では70歳のお年寄りはまだまだ元気溌剌としている方も多いのに、と思うと切なくなりましたが、とりあえず行き先が見つかったという安堵感で、母には無理やり明るい笑顔で接していました。

退院手続きをするときは弟はどうしても休みが取れず、私1人。移動は福祉タクシーを利用しました。

特養の施設は私の住んでいた家から車で1時間ほどの場所にあり、面会などを考えても好条件だと思いました。

施設につくとすぐに職員さんが何名か出てきてくれて、てきぱきと対応してくれました。

まず母を「お部屋に行きましょう」と言って連れていってくださり、「疲れたでしょう」とベッドに寝かせていただきました。

私は別室で入所に関する書類などを書き、説明を受けた上で帰宅することに。

部屋をのぞくと既に母は眠っていました。起こすのも忍びなくて、軽く母の持参した荷物の整理などを行い、施設を出ました。

福祉タクシーは帰ってしまっていたので、帰りは山道を徒歩で下り、バス停まで歩きましたが、ホッとしたのと同時に、どっと疲れが出てきました。

本当にこれで良かったのか、と何度も考えましたが、それしか当時の私には選択肢がありませんでした。

でもこの決断は間違っていませんでした。特養に入所して数年になりますが、2025年現在の今も母はその施設でお世話になっています。

職員さんたちは入れ替わりも激しいようですが、とても良くしてくれているのだと母本人から聞いています。

選択肢がなかった中で、私と母は幸運にもベストな状況に進むことができて、「神様は見ているのかなぁ」「運命だったのかなぁ」と今になってはしみじみと実感中です。

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