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【体験談:左半身麻痺になった母】③倒れた翌日、再び病院へ

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緊急搬送された母の脳出血の手術は無事に終わるも、結果は良くありませんでした。左半身麻痺の後遺症や意識障害があり、長い治療が続くことになります。

母の命は助かった…。私は一度、自宅に帰ることに

とりあえずICUに入った母を見て、医師から説明を受けて明け方近くに実家に帰りました。

玄関のカギはさすがに閉めてましたが、家の中はひと騒動あったことを物語るように、なんだか雑然としていました。

保険証などを探したらしく、開けたままになっている引き出しとか、玄関やリビングの電気もつけっぱなし。

無言で家の中に入って、とりあえずいつも私と息子が泊まる部屋に布団を敷いて、そこに息子を寝かせました。

少しだけ弟と話をして「どうなるんだろうね」と不安な気持ちでいっぱいでした。

とても眠れるような状況ではなかったのですが、一睡もしていなかった私は息子の隣に横になるとすぐに寝てしまったようでした。

数時間後、午前9時頃だったと思いますが、弟に「11時に病院に行かないと」と声をかけられて慌てて飛び起きました。

弟も少しだけ仮眠を取ったようでした。息子はまだ寝ていましたが、起こして「おばあちゃんが病気で倒れた」と説明しました。

あまりよく分かっていない様子でしたが、家の中に母の姿がないので、なんとなく理解したようでした。

朝食を食べるか聞くと、弟も息子も食欲がなく、私も食べたい気持ちはまるでありませんでした。実家から病院までは車で30分ほどなので、10時すぎに家を出て病院に向かいました。

そこで医師から「手術は終わった。出血場所から、おそらく左半身に麻痺が残る可能性が高い。意識はまだ戻らない。予断を許さない状況」と告げられました。

とりあえず、母はまだ生きてる。それだけでもホッとしたのを覚えています。

昨日と同じベッドだったと思うのですが、少しだけ眠っている母を見て、「頑張って」と声をかけて、病院を後にしました。

病院を出てから息子がお腹が空いたというのでコンビニに寄ってパンを買いました。

いつもは元気でやんちゃな息子が妙に聞き分けが良くて、ワガママ1つ言わないのは、幼いながらに事の重大さを感じ取っていたからだと思います。

ちょうどその日はゴールデンウィークの最終日。翌日から幼稚園も始まるという日でしたが、園に事情を話して、数日間は実家に寝泊まりしました。

そして数日後、ようやく「なんとか命は大丈夫だろう」と言われ、母の状態が安定したところで、私と息子は自分の家に帰ることにしました。

弟はフルタイムの普通の会社員でしたが、行けるときはお見舞いも行くし、急な呼び出しには自分が対応するから大丈夫だと言ってくれました。

息子と2人で2時間かけて自分の家に帰りましたが、母はまだ入院中なのに、自分の生活が一変したことを改めて考えていました。

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