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【体験談:左半身麻痺になった母】⑤退院しても行き場所がない…

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病状が安定して一般病棟に移り、やがて母の退院の話に。しかし難しい問題が山積みで、当時はかなり精神的にツラくて頭を悩ませる状況が続いていました。

退院する母をどこに連れて帰ればいいのか悩む日々

脳出血で倒れて生死の境をさまよい、緊急手術を受けて一命をとりとめた母。

左半身麻痺の後遺症が残り、メンタル的にも鬱のような状態になりましたが、少しずつリハビリを頑張っていたときに、病院から退院の話をされました。

倒れてからの経過を見ていると確かに随分回復していたのですが、このときの母の状況は次のような感じでした。

  • 左半身は完全に動かない状態(上半身・左半身)
  • 日中もほとんど横になって寝ている
  • リハビリは週に何度か(1回30分ほど)
  • 会話は可能(ただし唇の左側が動かずひきつっていて不明瞭)
  • トイレは大はオムツに
  • トイレの小は尿道にカテーテルが入っていてバルーンで尿を溜めている状態
  • 膣ろう(膣に穴が空き便が漏れだす症状)
  • 食事は体調が良ければスプーンを使ってかろうじて自分でできる状態
  • 体を起こすのも寝返りも自力では不可能
  • 車椅子への移動も介助が必要
  • 歩行困難、立位の姿勢も支える人が必要 など

このような状況で退院と言われ、真っ先に思ったのが「無理じゃない…?」ということ。

介護経験も知識もまったくないのに、こんな状態の母を連れて帰るなんて絶対に無理だと思いました。

最初に話をしてくれたのは病院の退院サポートの方でした。母の病室ではなく別室で話をしてくれたのですが、母の身体状況などもすべて把握されていました。

退院と聞いて私が正直に「無理だと思う」と言うと、サポートの方は「そうですよね」と返事をしてくれました。

しかし病院の仕組みでは病状の安定している方は退院期限があるようで、〇月中に退院していただきたいと丁寧に言われました。

その方とは何度もお話を重ねたのですが、当時の私は息子とエレベーターのないマンションの2階に住んでいました。

もともと母が住んでいたのは一軒家でしたが、少し変わった立地に立っていて、家に入る前に急な階段があり、バリアフリーにできるような環境ではありませんでした。

私の家に連れて帰るのも無理、もともと暮らしていた家に帰るのも無理、このまま入院するのも無理。

え、どうするの?引っ越ししないといけないの?バリアフリーのマンション?一軒家?そんなお金ないよ!

焦る私に、退院サポートの方もいろんな提案をしてくれましたが、なかなか良い案が出ません。弟とも相談していたのですが、かなり長い時間悩みました。こんなときどうすればいいの?と。

そんな状況のときだったと思います。母の介護認定の調査で市の担当の方が病院に来ることになりました。

介護保険を使うためには介護認定を受けなければいけないと教えられ、家族も同席してほしいと言われ、私が同席しました。

市の担当者さんはとても穏やかで優しい雰囲気の女性の方で、母に挨拶をしてテキパキと調査を進めてくれました。

身体状況については病院から情報が伝わっているようで、母に対しては「食事は自分でできますか」「起き上がれますか」など形式的なもの。

よく分からない答えをする母にも、嫌な顔をせずに辛抱強く丁寧に接してくださり、調査は30分ほどで終わったかと思います。

その後、別室で少しお話をする機会があり、介護度が決まったら結果を書類で送りますと言われました。

そしてその方が「おそらくお母様の体の状況を見る限り、施設などへの入所も可能だと思います。ま結果が出ていないのでハッキリとは申し上げられませんが、介護ケアをしてくれる施設の入所も考えてみてください」と教えてくれました。

介護などの老人施設は費用がとても高額だと思っていた私は「そうしたいのですが、お恥ずかしながら料金の工面ができそうになくて」と話しました。

すると担当者さんは「介護保険を使って費用の負担を軽くすることもできると思います。まずは介護度がどれぐらいになるかハッキリしないと何とも言えませんが」と。

その時点ではまだ何も解決していなかったのですが、こういったプロの方に意見を聞いて教えてもらえば何とかなるかもしれないと心強く思ったのを今でも覚えています。

結果、母は「要介護5」。最も手厚いケアが必要なレベルだと認定されました。

ここから介護保険を使えるようになり、母には市のケアマネジャーさんがついてくれて、退院に向けた本格的な相談とサポートをしていただくことになりました。

ケアマネジャーさんは、娘である私の家には母を連れて帰れないこと、もともと暮らしていた自宅にも帰れないことから、母の体の状況でも受け入れてくれる施設を探してくれることに。

この間にも刻々と退院までの期限が迫っていたので、少し焦りはありました。

手厚いケアが必要な介護状態の母を受け入れてくれる施設は簡単には見つかりませんでした。

しかしそんなある日、「運よく空きがでた」ということで、ケアマネジャーさんから夜に連絡をいただいたときは思わず「良かった」と安堵の溜息がでました。

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